東京の木・森のしごと

3-5 森・木・人の歴史

人のくらしと森

何千年も昔から、人は森林のめぐみを受けてくらしてきました。
木を使って、家や道具、船を作りました。
薪(まき)をもやしたり、木の実を食べたり、草や根っこをすりつぶして、
薬にしました。畑や田んぼをたがやすようになると、
落ち葉を肥料(ひりょう)として使いました。

何千年も昔の人々が家や船、弓や釣竿、斧の持ち手などを木で作り、木の実を食料にしている日常風景のイラスト

木を使ったまちづくり

古代(こだい)から中世(ちゅうせい)の多摩(たま)の林業地域(ちいき)には、モミ・ツガなどが自然に生えていました。江戸時代(えどじだい)に入ると、スギ・ヒノキなどの木材は、いかだに組み、川に流して運びました。このころ、東京は江戸とよばれる、100万人が住む町でした。多摩地域の木材は、人々が住む家、神社・お寺や、大名屋敷(だいみょうやしき)などの材料になりました。当時、檜原村(ひのはらむら)などでは、燃料(ねんりょう)の薪や炭づくりがさかんでした。台所や暖房(だんぼう)に使われて、人々のくらしをささえました。電気がなく、火を使っていたこの時代、江戸ではたびたび火事が起こりました。

木材を運ぶために筏に組み、前後に一人ずつ乗って、川を下る様子のイラスト

焼けた町を立て直すために、多摩の森林から多くの木材を伐(き)り出しました。また、あきる野市の山ぞいでは、コウゾという木の皮を原料にした、和紙づくりがさかんでした。この和紙は、油こしやふくろ、かさ、帳簿(ちょうぼ)など、生活の中でたくさん使われました。

機械と紙、便利なくらし

明治期の紙幣や新聞、雑誌と、教科書をよむ少年のイラスト

機械でものづくりを始めると、工場の燃料に大量の薪を使いました。

交通や産業が発達して街が大きくなっていく時代です。工事現場の足場や杭(くい)、鉄道のまくら木にも、木材が必要でした。

技術(ぎじゅつ)が発達して、機械で紙を作り、印刷もできるようになりました。お札(おさつ)や切手、新聞・ざっしなどが出回り、木材は、紙の原料(げんりょう)にもたくさん使われました。

その後、戦争でこわれた街を立て直す時も、 たくさんの木材が、資源(しげん)として使われました。

先祖が植えた人工林

木の使い道が広がり、森林の木がたくさん伐られると、たびたび災害(さいがい)が起こるようになりました。人々は、街を守り、木材を生産するために森林を育てようと考えました。スギやヒノキの苗(なえ)を植えて、私たちに森林を残してくれたのです。今から、およそ60年前の話です。

その後、日本中に大きな工場ができて、東京はビルや高速道路がそびえる大都市に変わってゆきました。家が次々と建てられ、たくさんの木材が使われました。

今、森林は木材にくわえて、より多くのめぐみをもたらすものとして、注目されています。

こうしてふり返ると、森林とわたし達のくらしは、とても深い関係にあることがわかります。これからも森林を大切に育ててゆくために協力できることはないか、まずは気軽に森へ出かけて、考えてみましょう。

急斜面に苗木を植える人々のイラスト