東京の木・森のしごと

5-4 木育授業の事例

世田谷区立等々力小学校

実際に、子どもが書いた文章をご紹介します。

【森林の学習を通して、子どもが考えたこと】

 私は、今回の学習で、最初「今まで森林について知らなかったのは、仕方ないんじゃないか?」と思っていた。
 でも、「知らない」=「関心がない」=「危機感をもたない」=「問題解決はすでに手遅れ」という風になって、結果的に森林を守り切れなくなってしまうということにつながるから、「仕方ないでは、済まされない」と思った。
 また、都でも様々な取り組みをしているのにもかかわらず「森林環境税」に反対する人などもいて、これでは“税”と“森林”が危ないと思った。「日本の森林のために使う1000円は高いのかどうか」、判断力が必要だと思った。
 また、自分の中では、特に林業家についてもっと知りたい(関心を向けたい)と思った。というのも、私は林業の現状のことで、もっとしっかり目で見たものを家族などに広げていき、みんなに協力してもらおうと思ったからだ。
 さらに、どんなに林業家が頑張っても、森林に閑古鳥が鳴いていたとしたら、根本的なところから、問題を解決しないと現状は変わらないと思った。“もと”を探ってみれば、全て自分のできることをしていかなければ日本の森林は、私たちの次世代にはもう守り切れなくなってしまっているということを考えて行動していかないと、それこそ“健全な森”が絶滅してしまうのではと思った。
 日本は、宝の持ちぐされだ。今その宝を使う以外に解決策はないと思う。

 私は、水産業や農業も同じで、林業の問題は専門家がどんなに頑張っても、国民の関心がないと、問題が解決しないのではないかと思いました。林業へのアンテナを伸ばしていると、林業のポスターを見つけることができたので、もう少し大人が関心をもってくれると、問題が少しずつ解決すると思うので、関心が必要だと思います。
 また、国や都が主にイベントをやってくれているので、そこに参加して、次の時代を担っていきたいです。

 ぼくは、この学習を通して、木は気にせずに購入し、森林にはただ木があって、それをただ伐っているというような感じしかしなかった。けど、森林には約70兆円分以上の価値があり、木が伐られるまでに約80年間も手入れをしていると知り、ものすごい努力だなぁと思う。
 そして、そのような森林を国や都、市民が守るために様々な取り組みをしていて、そこに自分たちのできることで参加したいと思う。
 また、年々林業家は減っており、身近な木は約70%が外国産で、外国から大量の木を輸入し、外国の森林破壊や日本の森林の手入れ不足などの問題が上がっているから、国民が関心をもって、林業家を増やせば、前述したように森林という大きな財産を受け継ぎ、持続可能な森林にしたいと考えた。

 この学習を通して、全員がつながっているのを改めて思った(稲作の学習と同じ)。森林を伐るための道具をどこかの誰かさんがつくり、その道具をその人に届ける人がいて、その道を作った人がいて、その人たちが生きていくために必要な食料がある。その中の一つの仕事がなくなると、あっという間にその他の仕事が終わる。
 つまり、私たちは直接林業家をつけることはできないけれど、直接ではなく裏の土台となるところを支えることで、林業家を支えられる。そしてこのことについて、身近な人に伝えると、またどんどん広がる。知るだけでなく、それを伝えるという行動に移すことで、森林について知ってもらえる。
 私は森林の現状について、伝えてきたい。

 私がこの学習を通して考えたことは、思ったより国や都が色々と活動をしているということです。
 では、なんでこれほど活動しているのに、森林があれているのでしょう。それは、国民の関心のなさです。
そのためにも国は、森林を守るための税をかけようとしています。それで、良くも悪くも国民が関心をもつでしょう。そこで、今の森の現状を伝えれば、国民は関心をもつでしょう。
 そうすることで、林業家になる人も増えるかもしれません。
さらに、海外から林業家をやとえば、いいかもしれません。しかし、国全部の森を海外からやとうわけにもいかないし、そもそもそんなお金もないだろから、どうにかして、日本の林業家を増やさないといけないと思います。

 この学習をする前、ほとんど森林のことを知らなかった。少しだけ覚えていて、本当かどうかはっきりしないけど、川場(群馬県の宿泊行事先を)調べて、川場の周辺で植樹祭のようなことが行われていたことだけは知っていた。また、植樹を天皇たちがやっているのをテレビで見たことがあった。
 今の考えは、いきなり森林に関心を向けるのは難しいから、都の取り組みや、身近に売っている木に関心を向ければよいと思う。
都の取り組みに関しては、森林に直接かかわってボランティアできる取り組みも、少し遠いけど森林を守ることができる取り組みがあるから、どちらかには参加できると思う。
身近にある木は、国産か外国産か分かりにくい。だから、(FSC)などの表示をよく見て、買う時に国産を選ぶことで、日本の森林を少しでも守れると思う。

 ぼくは、国民としてのこれからの生活を変えようと思った。
 この学習でのはじめ…
 「林業家は何をしているの?」
 「国や天皇は何をしているの?」という疑問が起こり、調べた。でもその時の思いを言うと、「天皇、国、林業家」全部違うけど、「すごいことしてるな~」「知らなかったな~」だけだった。
 でも、次の学習で、それまでの思いが一変した。それは、日本で使われている木はどこから来たのかの学習だった。外国産に頼っていたのは、国民が木に対して思いが薄かったことだった。そこで、もっと関心をもてばいいという意見がたくさんあがった。
 でも、これも表面的だったのかもしれない。
「買っているのは政府?天皇?それとも…企業?」
「…国民だよね。」
 驚いた。どんなに政府が外国産を主張しても、国民が国産と言えば、国産になる、ということだった。
 ぼくらには、重大な責任がある。この責任を実感し、実行することで、初めて森林に対する協力が生まれる!と考えた。だから、日常的に責任を忘れることなく、生活していくことが大切だと思った。

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